クーペ2タイプ
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車両型式番号AE86は通称「ハチロク」と呼ばれたカローラ&スプリンターのスポーツモデルです。現在販売されている「ハチロク」は、もちろんこの昔のAE86からのオマージュということになります。
R32スカイラインなどもそうですが、こうして車両型式番号で呼ばれるクルマは多くはありません。トヨタのライトウェイトFRスポーツクーペの場合は、このAE86を最後としてラインナップから長く途絶えることになったのです。
日本国内での販売期間は1983年5月-1987年5月です。
上の写真は3ドアハッチバックのスプリンタートレノ、
下の写真は2ドアノッチバックのカローラレビンです。
R32スカイラインなどもそうですが、こうして車両型式番号で呼ばれるクルマは多くはありません。トヨタのライトウェイトFRスポーツクーペの場合は、このAE86を最後としてラインナップから長く途絶えることになったのです。
日本国内での販売期間は1983年5月-1987年5月です。
上の写真は3ドアハッチバックのスプリンタートレノ、
下の写真は2ドアノッチバックのカローラレビンです。
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ちなみにAE86はAE85とボディは一緒ですが、1.6Lのツインカムエンジンを搭載したモデルがAE86です。AE85は1.5LのSOHCエンジンとなります。
当時の状況
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AE86が登場したのは1983年ということで、長い間排ガス規制値クリアに苦しんでいたメーカー各社も対策が進み、スポーツタイプのエンジンも復活しつつあった頃です。
その当時は、ターボによる高出力化の方が絶対的な性能においては優位だったように思います。また、小型車においては居住性等の向上ということで前輪駆動(FF)化が一般的になっていました。
一方カローラレビン・スプリンタートレノですが、先代の流れを汲む自然吸気(NA)のDOHC1.6LLエンジンと後輪駆動(FR)だったのです。サスペンションも先代から流用したフロントストラット、リヤラテラルロッド付きの5リンクリジッドアクスルサスペンションで、言わば旧態的な仕様でした。
これは当時のレベルでみても単純な構造で、他の国産スポーツカーと比べればやや見劣りするものでもありました。つまり、AE86はデビュー当初、評価が低かったのです。
しかし、逆に言えばサスペンションの改造が容易だということで、更にDOHC16バルブになった4A-GEUエンジンは、普通のターボ仕様車よりもスポーツ指向であり、チューニング志向の強いユーザー層から強い支持を受けるようになり、その後も人気が続いていくことになったのです。
その当時は、ターボによる高出力化の方が絶対的な性能においては優位だったように思います。また、小型車においては居住性等の向上ということで前輪駆動(FF)化が一般的になっていました。
一方カローラレビン・スプリンタートレノですが、先代の流れを汲む自然吸気(NA)のDOHC1.6LLエンジンと後輪駆動(FR)だったのです。サスペンションも先代から流用したフロントストラット、リヤラテラルロッド付きの5リンクリジッドアクスルサスペンションで、言わば旧態的な仕様でした。
これは当時のレベルでみても単純な構造で、他の国産スポーツカーと比べればやや見劣りするものでもありました。つまり、AE86はデビュー当初、評価が低かったのです。
しかし、逆に言えばサスペンションの改造が容易だということで、更にDOHC16バルブになった4A-GEUエンジンは、普通のターボ仕様車よりもスポーツ指向であり、チューニング志向の強いユーザー層から強い支持を受けるようになり、その後も人気が続いていくことになったのです。
伝説の背景
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カローラレビン・スプリンタートレノは1987年5月に次代の「AE92型」にモデルチェンジされ、駆動方式もFFに変更されたました。さてそうなってみると日本車として希少となったライトウェイト後輪駆動車が再認識されるわけです。
結果、新車だった販売当時よりもモータースポーツの関係者やドリフト走行愛好者の間ではAE86がもっと注目されるようになったのです。
ドリキンことプロレーサーの土屋圭市氏は、AE86をずっと所有し、雑誌でも採り上げ続け、これも伝説化した一因でしょう。そもそも土屋氏はドリフトを極められたのもAE86のおかげだと語っているのです。ボディ剛性が高く、応答性も良いとメリットを挙げていました。「ドリキン」という異名については、雨天の富士フレッシュマンレースにおいて、AE86で100Rをドリフトしながら走ったことからつけられたそうです。
結果、新車だった販売当時よりもモータースポーツの関係者やドリフト走行愛好者の間ではAE86がもっと注目されるようになったのです。
ドリキンことプロレーサーの土屋圭市氏は、AE86をずっと所有し、雑誌でも採り上げ続け、これも伝説化した一因でしょう。そもそも土屋氏はドリフトを極められたのもAE86のおかげだと語っているのです。ボディ剛性が高く、応答性も良いとメリットを挙げていました。「ドリキン」という異名については、雨天の富士フレッシュマンレースにおいて、AE86で100Rをドリフトしながら走ったことからつけられたそうです。
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そして人気漫画です。1990年代の後半から連載された「頭文字D」という漫画のの主人公「藤原拓海」。父の愛車だったAE86トレノ白黒3ドアに乗っているのです。
実はそれまでの人気の中心はカローラ・レビンの方であり、AE86といえばレビンを指すのが一般的だったのですが、この漫画で登場してからは中古車としてトレノが異常なほどの高値で取引されるようになったのです。まさにカルト的な人気です。
既に生産終了から30年以上も経った現在ですが、それでも中古車価格は高値安定傾向にあります。車齢が非常に高いので、状態の良い個体は少なく、価格はプレミア価格がつけられることが多くなっています。
実はそれまでの人気の中心はカローラ・レビンの方であり、AE86といえばレビンを指すのが一般的だったのですが、この漫画で登場してからは中古車としてトレノが異常なほどの高値で取引されるようになったのです。まさにカルト的な人気です。
既に生産終了から30年以上も経った現在ですが、それでも中古車価格は高値安定傾向にあります。車齢が非常に高いので、状態の良い個体は少なく、価格はプレミア価格がつけられることが多くなっています。
モータースポーツ
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カローラレビン・スプリンタートレノは、グループA規定の全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦して活躍しました(1985年~)。相手は2L以上の排気量の三菱・スタリオンや日産・スカイラインらでしたが、善戦し、1985年と1986年にはスポーツランドSUGOで総合優勝を果たしています。
1986年と1987年のBTCC(イギリスツーリングカー選手権)でも、フォード・シエラ、BMW・635CSiらを相手に、ドライバーズチャンピオン(クリス・ホジェッツ氏)を獲得しています。更にはヨーロッパツーリングカー選手権でも複数のエントラントの人気を集めました。1983年のスパ・フランコルシャン24時間レースでも、グループA・Div.1でクラス優勝を果たし、海外では大きな戦果を得ています。
ラリーやジムカーナでも活躍し、特に国内のラリーでは、丈夫で安価、扱いやすい車体、安価なパーツの供給などの理由から大量のAE86がエントリーしていました。
1986年と1987年のBTCC(イギリスツーリングカー選手権)でも、フォード・シエラ、BMW・635CSiらを相手に、ドライバーズチャンピオン(クリス・ホジェッツ氏)を獲得しています。更にはヨーロッパツーリングカー選手権でも複数のエントラントの人気を集めました。1983年のスパ・フランコルシャン24時間レースでも、グループA・Div.1でクラス優勝を果たし、海外では大きな戦果を得ています。
ラリーやジムカーナでも活躍し、特に国内のラリーでは、丈夫で安価、扱いやすい車体、安価なパーツの供給などの理由から大量のAE86がエントリーしていました。
愛され続けるAE86
via gazoo.com
カローラレビン・スプリンタートレノはこうして伝説となっていきました。もともと大衆車ベースで高価なクルマではありませんが、時代とのマッチングが良かったのかもしれません。
時々、街のどこかで見かけることがあると思います。愛され続けるAE86、いつまでも大切にしてもらいたいですね!
時々、街のどこかで見かけることがあると思います。愛され続けるAE86、いつまでも大切にしてもらいたいですね!
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