モータースポーツの幕開け時代
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トヨタスポーツ800が登場したのは1965年です。昭和40年ですから東京オリンピックの翌年になります。今から半世紀以上も前のことです。
現在のようなハイテク満載のクルマとは全く違うわけですが、「日本でも乗用車が所有できる!」という希望に満ちた時代でもあったのです。
そして、日本グランプリなども開催されるようになり、モータースポーツに脚光が当たるようにもなってきたのです。いわば黎明期ということです。しかし、そうは言っても普通の乗用車でもまだまだ高価であり、スポーツカーなどは更に「高嶺の花」だったのです。
ダットサン・フェアレディやべレット1600GTなどは、80万円以上の価格だったと思います。現在の物価ではでは800万円以上ということになり、ちょうどレクサスの高級スポーツカーを買うような感じだったのでしょうか。
もちろん、トヨタスポーツ800も当時としてはかなり高価だったわけですが、国民車パブリカをベースにしながら、身近なスポーツカーということで作られています。
現在のようなハイテク満載のクルマとは全く違うわけですが、「日本でも乗用車が所有できる!」という希望に満ちた時代でもあったのです。
そして、日本グランプリなども開催されるようになり、モータースポーツに脚光が当たるようにもなってきたのです。いわば黎明期ということです。しかし、そうは言っても普通の乗用車でもまだまだ高価であり、スポーツカーなどは更に「高嶺の花」だったのです。
ダットサン・フェアレディやべレット1600GTなどは、80万円以上の価格だったと思います。現在の物価ではでは800万円以上ということになり、ちょうどレクサスの高級スポーツカーを買うような感じだったのでしょうか。
もちろん、トヨタスポーツ800も当時としてはかなり高価だったわけですが、国民車パブリカをベースにしながら、身近なスポーツカーということで作られています。
創意工夫のライトウェイトスポーツ
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当時、2シーターのライトウエイトスポーツカーと言えばホンダS600がありました。DOHC4気筒の高回転ハイパワーエンジンが特徴でしたが、トヨタスポーツ800は、言ってみればその対極をいったわけです。それは、その頃のトヨタの最小モデルであるパブリカのエンジンとシャシを流用することを前提にしたからです。
そのため当初「パブリカ・スポーツ」という名称の予定だったそうです。700cc 空冷水平対向2気筒OHVという非力なパブリカ用のエンジンで高性能を発揮させるためには、軽量化の徹底と空気抵抗の現象が求められました。その結果、オープンボディでありながらモノコック構造を採用し、難易度の高さを乗り越え、車両重量は何と580kgに仕上がっているのです。
パワーはグロスで45PS、ミッションは4MT、車体サイズは、3,580mm×1,465mm×1,175mmですから、現代の軽自動車並みです。1965年3月から市販された時の東京地区標準販売価格は59.5万円でした。
そのため当初「パブリカ・スポーツ」という名称の予定だったそうです。700cc 空冷水平対向2気筒OHVという非力なパブリカ用のエンジンで高性能を発揮させるためには、軽量化の徹底と空気抵抗の現象が求められました。その結果、オープンボディでありながらモノコック構造を採用し、難易度の高さを乗り越え、車両重量は何と580kgに仕上がっているのです。
パワーはグロスで45PS、ミッションは4MT、車体サイズは、3,580mm×1,465mm×1,175mmですから、現代の軽自動車並みです。1965年3月から市販された時の東京地区標準販売価格は59.5万円でした。
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インパネなどは当時のスポーツカーそのものの本格派です。
基本メカニズム
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トヨタスポーツ800は、ほとんどのコンポーネントが大衆車パブリカからの流用で、ブレーキもまだ前後ドラム、サスペンションの基本レイアウトもそのままです。ただし、各所の強化は施されており、シフトレバーもスポーティなフロアシフトに変更されています。
パワーユニットも当初はパブリカ用をそのまま流用することが考えられていたようですが、計画された最高速度150 km/h 以上のためには非力で、約100 cc 排気量の拡大、ツイン・キャブレター化が行われ、790cc、45psとなりました。
パワーとしては充分ではありませんが、そこに空気抵抗係数0.35を誇る流線型の超軽量ボディが加わり、155 km/hというハイレベルな最高速度を達成しています。同時期に販売されていたのホンダS600はDOHC高回転高出力エンジン(57PS/8,500rpm)ですが、やや重い車体であり、まさに対極的な発想ということになるでしょう。
パワーユニットも当初はパブリカ用をそのまま流用することが考えられていたようですが、計画された最高速度150 km/h 以上のためには非力で、約100 cc 排気量の拡大、ツイン・キャブレター化が行われ、790cc、45psとなりました。
パワーとしては充分ではありませんが、そこに空気抵抗係数0.35を誇る流線型の超軽量ボディが加わり、155 km/hというハイレベルな最高速度を達成しています。同時期に販売されていたのホンダS600はDOHC高回転高出力エンジン(57PS/8,500rpm)ですが、やや重い車体であり、まさに対極的な発想ということになるでしょう。
レースでも活躍
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日本で自動車レースが盛んに成りつつあった時期にトヨタスポーツ800は登場しました。当然ながらレースにも積極的に参加することになりました。
OHV2気筒エンジンではパワーはありませんが、軽量であり操縦性が良く、更には空気抵抗も少ないので、燃料消費率に優れ、タイヤ摩耗も少なかったのです。そのため耐久レースでは有利で、1966年第1回鈴鹿500kmでは、一度もピットインせずにそのアドバンテージを生かして優勝しているのです!
ライバルはロータス・レーシング・エラン、フェアレディ1600、スカイラインGTなどで、トヨタスポーツ800のような小さなクルマがこうした大きなエンジンのクルマを打ち負かすわけですから、さぞかし痛快だったことでしょう。
OHV2気筒エンジンではパワーはありませんが、軽量であり操縦性が良く、更には空気抵抗も少ないので、燃料消費率に優れ、タイヤ摩耗も少なかったのです。そのため耐久レースでは有利で、1966年第1回鈴鹿500kmでは、一度もピットインせずにそのアドバンテージを生かして優勝しているのです!
ライバルはロータス・レーシング・エラン、フェアレディ1600、スカイラインGTなどで、トヨタスポーツ800のような小さなクルマがこうした大きなエンジンのクルマを打ち負かすわけですから、さぞかし痛快だったことでしょう。
思い出に残るスポーツカー
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創意工夫から作られたトヨタスポーツ800は、1965年から1969年にかけて製造されました。その登場からすでに半世紀以上が経過しているわけですが、存在感が弱まることがありません。
風洞実験を行なったのは当時としては非常に画期的で、空力のセンターラインと重心のラインが揃っているまさに唯一のクルマだったのです。
60代の人のノスタルジックアイテムと言われて仕方がありませんが、スポーツカーの楽しさの要素というのは、実は絶対的なパワーやスピードとはあまり関係のないところにあるのかもしれませんね。
風洞実験を行なったのは当時としては非常に画期的で、空力のセンターラインと重心のラインが揃っているまさに唯一のクルマだったのです。
60代の人のノスタルジックアイテムと言われて仕方がありませんが、スポーツカーの楽しさの要素というのは、実は絶対的なパワーやスピードとはあまり関係のないところにあるのかもしれませんね。
写真は現代に蘇ったTOYOTA SPORTS 800 GR CONCEPTです。
トヨタの「Gazoo Racing」には、こうしたスピリッツが伝承されているのでしょうね。
トヨタの「Gazoo Racing」には、こうしたスピリッツが伝承されているのでしょうね。
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