フェアレディZの前身となる日本のオープン・スポーツカーの草分け的存在であり、国際的にも評価された、当時の日産のまさに渾身の1台です!
ダットサン・フェアレディ誕生
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もう70年近くも前、1960年1月に初代フェアレディは発表されました。ちなみに当時の正式名称は「フェアレデー1200」ですが、以後は「フェアレディ」で記述します。
車名はミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来しています。SPL212型とSPL213型がありましたが、北米専売のモデルということで左ハンドル車のみです。一応、日本でも少数がそのままで販売されたようです。おそらくご年配の方でもこのクルマは殆ど認識されていないと思います。
2代目1500ccモデル
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日本におけるスポーツカーの代名詞といえば「フェアレディZ」を外すことはできないでしょう。そしてその源流は遥か昔にまで遡ることになります。
ダットサンスポーツを経て、「フェアレディ」という名称のスポーツカーとして開発されたこのクルマは、2代目になってモータースポーツでも大活躍するようになりました。こうした伝説をつくることになったのがこの2代目S310型系です。
日産渾身のオープン・スポーツカーである2代目ダットサン・フェアレディは、1961年10月にモデル発表、1962年10月に国内販売がスタートしました。
ベースとなったのはブルーバード310で、そのシャシーにオープンボディを換装しています。ブルーバードは「はしご形フレーム」で、その上にボディを載せる構造です。はしご形フレームにエンジン、トランスミッション、サスペンション、ブレーキも全部取り付けられます。そのためにフェアレディ1500はこのそのシャシーを流用できたのです。
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エンジンはセドリック用の1500ccエンジンであり、当時としては強力なものでした。低くしたボンネットの中にエンジンを納めるために、キャブレターは横向き通風タイプに変更されています。
おそらく国産初の量産スポーツカーということになると思いますが、61年10月のデビュー当初は後部に横向きの小さなシートを装備した3人乗り設定だったのが非常にユニークです。
スタイルは、先代の曲線的なラインとは対照的にシャープで直線的なイメージに変わりました。ボディサイズは、3,910mm×1,495mm×1,275mmということで、現在のレベルからすれば相当にコンパクトです。
エンジンは、1.5L直4OHVのG型のセドリック用がベースですが、フェアレディ専用にチューニングしたものとなり、71ps/5,000rpm、最大トルク11.5kgm/3,200rpmの性能を誇りました。
ミッションは4速MTですが、先代同様に1速がノンシンクロです。それでも先代より20km/h以上速い150km/hという最高速度を達成しています。また、ソフトトップは、当初、幌の骨を組み立ててからトップを被せるというタイプでした。
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1963年の第1回日本グランプリにもB-IIクラスで出場、イギリスの強豪を抑えて優勝しています。その後エンジンはレース用のワークスマシーン仕様をベースにして、シングルだったキャブをSUツインキャブに替え、デュアルエキゾースト化されました。これによって最高出力は80ps/5,600rpm、最大トルクも12kgm/4,000rpmにアップ。最高速度も155km/hに伸びています。
1964年8月のマイナーチェンジで横向きの後席は廃止されて2シーター仕様になっています。そして幌は折り畳み式になり利便性が高まっています。ダッシュボードのデザインも変更されています。
1600ccモデル
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1965年には1600ccへと発展していきます。
直列4気筒OHV16005ccのR型エンジンは90馬力を発揮、フロントブレーキはディスクブレーキになりました。またギアボックスはフルシンクロ4速となって、ギア比もクロスレシオになっています。トラックから流用していたパーツはほとんど無くなり、こうしてフェアレディはスポーツカーとして着実に進化していったのです。
2000ccモデル
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そして2000ccの登場です。今でも愛好者がたくさんいるのがこの2000ccモデルです。フェアレディ1600の追加バージョンとして1967年3月に登場しました
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基本的には1500以来のシャシーのままですが、ツインチョーク・ソレックスキャブレターを2基装着したSOHC4気筒2Lエンジンを搭載しています。パワーは当時としては驚異的な145PS(グロス)を誇り、最高速度205km/h、0-400m加速5.4秒という、現在でも通用するほどのパフォーマンスを発揮しています。
ちなみに国産車で初めて最高時速200kmを謳ったのはフェアレディ2000だったと思います。ミッションはポルシェタイプシンクロの5速MTです。もちろんレースでもかなり強く、1967年5月の第4回日本グランプリでは、GTクラスで1-2-3フィニッシュを飾っています。
ベースのシャシーを考えたら、もうこれ以上の性能は望めない限界点に到達していたのではないでしょうか。
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フェアレディZへの橋渡し
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日産は1969年に「フェアレディZ」を発表します。そしてフェアレディの役割は終わり、1970年に生産終了となりました。
戦後の規制が解除されてから、資金や資源が不足する中、トラックの部品共用などで作り上げた初代から、こつこつと本格的なスポーツカーへの道を歩んでいったフェアレディ。当初はヨーロッパ車の模倣だったのですが、技術を蓄積しつつ進化していったフェアレディは決して単なるモノマネではありません。フェアレディZやGT-Rにもつながっていくスピリットを感じる人が多いと思います。
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